国宝 雲龍山勝興寺

勝興寺の境内地に建てられている万葉集の歌碑

大伴の 遠つ神祖の その名をば 大来目主(おおくめぬし)と 負(お)ひ持ちて 仕えし官(つかさ)海行かば 水浸(みず)く屍 (かばね) 山行かば 草生(む)す屍(かばね) 大君の辺(へ)にこそ死なめ顧みはせじと言立(ことだ)て 大夫(ますらお)の 清きその名を 古(いにしへ)よ 今の現(をつつ)に流さへる 祖(おや)の子等(こども)そ
【鼓堂横】
大伴の 遠つ神祖の その名をば 大来目主(おおくめぬし)と 負(お)ひ持ちて 仕えし官(つかさ)
海行かば 水浸(みず)く屍 (かばね) 山行かば 草生(む)す屍(かばね) 大君の辺(へ)にこそ死なめ
顧みはせじ  と言立(ことだ)て 大夫(ますらお)の 清きその名を 古(いにしへ)よ 今の現(をつつ)に
流さへる 祖(おや)の子等(こども)そ(四〇九四の一部)
訳:大伴の遠い祖先が、その名を大来目主と呼ばれて、天皇にお仕えした役目は、
「海を行けば水に浸る屍、山を行けば草の生える屍となっても、大君のお側でこそ
死のうが、後悔はするまい」と誓って、ますらおの汚れの無いその名を、
昔から今の世に伝えてきた そういう祖先の子孫なのだ。