国宝 雲龍山勝興寺

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勝興寺の万葉歌碑
Manyo kahi

勝興寺の境内地に建てられている万葉集の歌碑です。

あしひきの〜 【本堂左横】

あしひきの 山の木末の ほよ取りて かざしつらくは 千年寿(ちとせほ)くとそ(四一三六) width=

歌: あしひきの 山の木末こぬれの ほよ取りて かざしつらくは 千年寿ちとせほくとそ(四一三六)
訳:(あしひきの)山の梢のほよを取って かざしにしたことは 千年の命を祝ってのことだ。

大伴の〜 【鼓堂横】

大伴の 遠つ神祖の その名をば 大来目主(おおくめぬし)と 負(お)ひ持ちて 仕えし官(つかさ)海行かば 水浸(みず)く屍 (かばね) 山行かば 草生(む)す屍(かばね) 大君の辺(へ)にこそ死なめ顧みはせじと言立(ことだ)て 大夫(ますらお)の 清きその名を 古(いにしへ)よ 今の現(をつつ)に流さへる 祖(おや)の子等(こども)そ

歌: 大伴の 遠つ神祖かむおやの その名をば 大来目主おおくめぬしと ひ持ちて 仕えしつかさ 海行かば 水浸みずかばね 山行かば 草かばね 大君のにこそ死なめ 顧みはせじと言立ことだてて 大夫ますらおの 清きその名を いにしへよ 今のをつつに 流さへる おや子等こどもそ(四〇九四の一部)
訳:大伴の遠い祖先が、その名を大来目主と呼ばれて、天皇にお仕えした役目は、「海を行けば水に浸る屍、山を行けば草の生える屍となっても、大君のお側でこそ死のうが、後悔はするまい」と誓って、ますらおの汚れの無いその名を、昔から今の世に伝えてきた そういう祖先の子孫なのだ。

もののふの〜【境内地 北西の角】

もののふの 八十少女らが 汲み乱ふ 寺井の上の 堅香子の花(四一三二)

歌: もののふの 八十少女 やそおとめらが まがふ 寺井のうへの 堅香子かたかごの花(四一三二)
訳: (もののふの)大勢のおとめたちが、入り乱れて水を汲む、寺の井のほとりの かたくりの花よ。

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